三条市 ■郊外に駅を設置、開業後27

 

平成211120日 午前9:3012:00

<視察訪問先>  三条市

 

<出席者>

市議会事務局長(前産業経済部長) 関崎光明

建設部都市計画課長  堀 雅志

議会事務局調査係長  坂内幸雄

 



関崎局長:駅を挟んで、三条市、燕市がある。合併がならず現在に至っている。駅舎の真ん中に両市の境界がある。駅とインターチェンジが隣接しているのは全国的にも珍しい。

 

堀 課長:燕三条駅のある地区は、土地区画整理事業施行前は、地区内を横断する国道8号沿いに、工場、事務所等があったが、大半は良好な水田地帯であった。

     この地区に、昭和45年、北陸自動車道三条燕インターチェンジの設置、同46年、上越新幹線燕三条駅の設置が発表、起工された。

 

三条市、燕市の両市は、それに伴い将来予想される無秩序な土地利用の悪化を防止するため、また、これを機に道路、公園等の公共施設の整備を行い、県央地域の表玄関にふさわしい魅力あるまちづくりを行うことを目的として、両市による区画整理事業一部事務組合を設立し、総面積148haという大規模な土地区画整理事業を施行した。

 

     昭和53年、自動車道供用開始。昭和57年新幹線開業。平成5年に区画整理事業が完了した。事業費は、三条地区636千万円。燕地区555千万円。

     燕三条駅の1日平均の「乗車人数」はH20年度、2,144人。三条市の中心駅である東三条駅は、2,886人。駅がある地区の人口・世帯数、ともに減少傾向である。(H12人口2,209人・世帯数709 →H17人口2,141・世帯数690

     小売業の状況は、新幹線駅周辺の大規模小売店舗6店舗+建設中1店舗。店舗数は5.5%だが、年間販売額では、新幹線駅周辺が全体の26%を占める。高速道路により、中心市街地から新潟市、長岡市へ30%が買い物に出かけており、ストロー現象が出ている。

 

郊外駅が設置されている中で、郊外地区を、中心地との関係から土地区画整理事業を導入。市域の将来構想(マスタープラン)として、3つの区域に複数の拠点を作ることとしている。燕三条駅周辺は、各種の都市機能を高度に集積すべき拠点として「広域交流拠点」として位置付け、市内外から多くの人々が集い、働くといった広域交流を目指し、商業、文化、交流、研究開発、コンベンション機能などの集積を図る。〓以下、資料により説明〓

 

<質疑応答>

  問い:インターチェンジと駅が隣接することとなった経緯は。

  答え:何の形もない中で、新幹線のルートは、山手か平野部かのルートがあったが直線の平野部となった。政治的な関係の中で三条と燕で選挙区が違っていて、田中角栄の調整があったとされる。その中で両市の中間となり駅名も調整した。

 

  問い:工業は高速交通網に影響されたか

  答え:交通網の整備の中で地元が懸念したのは、新潟と長岡の間で駅ができても通過点ではダメということで、県の支援で工業を支援する施設を造った。交流人口が増えて物流が良くなる。都心から三条へは、都心から近郊へ行くのと同じ時間であることから企業誘致が成功した。物流コストが安くなった。税関の機能をつくってビジネスチャンスを作り上げた。交流人口、物流コストを総合的に考えられる民間と一緒になって産業振興のための営業担当を市役所に3人配置して県外へアプローチした。ビジネスチャンスを広げるセクションとして、地場産業センターへ市の職員を配置した。燕市も同じ体制をとった。税関ができたりしたが、結果的に目玉となる企業は来なかったが、新しい内容を持つ企業等が入ってきた。現在も新産業の誘致活動は行っている

 

  問い:商業関係の変化は

  答え:商業関係は、交通網以前の問題で郊外店が増えたTMOもやったが中心市街地は衰退した

 

  問い:新幹線のルートが郊外となったが利点は。

  答え:燕市と三条市の共同歩調で平野部のルートとなった。両市の表玄関としての整備を期待した。

 

  問い:治安面ではどうか。

  答え:特にそういった都会並みの問題が出ているとは感じていない。

 

  問い:駅が産業振興にどう影響があったのか

  答え:産業振興は明らかに外部からの仕事が圧倒的に増えたことにある。自動車部品では、日産があったがトヨタが少なかったが、下請企業が受注を出したいと依頼がありトヨタ系がきた。物流の利点が活きたと思う。従来なかったものが増えた。バブルの頃、新しい分野を求めていた産業のニーズと行政の方向が合致した。

 

  問い:区画整理事業費が、面積が違うのに同じであるのはなぜか。

  答え: 8号線があって地価が高いということにして、減分部分を買った形(減価補償金)にしてこれによって事業が進んだ。

 

 

  問い:中心市街地の衰退は郊外駅の影響か

  答え:全国的な現象として中心街の魅力の低下がある。中心街に人を戻そうとしても活性化にならないのではないか。ハードの整備は難しいのでネットによる販売などのシステムを導入した。まちづくり3法によって郊外店に厳しくなっているが、最近は県も厳しく規制している。物を売る以外の要素を考えないといけない。

 

  問い:基本的には新潟と長岡の間で空洞化を避けるための駅設置だったのか。今後、どのようにして生き残っていくのか。

  答え:もともと両市は輸出と内需で伸びてきた。製造業のほかに卸業が多数あり、全国的に流通している物流の拠点である。入口も出口もないまちにしたくないという思いがあった。駅とインターができてからの問題は、列車が止まるのかどうかが最大の関心事。全車両が止まってほしいという要望を相当やった結果、全部の中で23本しか通過せず後は全部停車することになった。計画の初めの段階から要望、運動をしないとだめである。結果的には、駅とインターの隣接が有利だ

 

問い: 隣接のメリットは。

答え: 製造業でのメリットはない企業が拠点として進出してきたことが挙げられる。

 

<駅舎、駅周辺を現地視察>